自分の強さと弱さが生む隙間と葛藤
「強くなるなら
愛情を持たないと。
弱いままなら
愛情を受け止めないと」
この言葉、
とても深いような気がします。
強さと弱さについて考えてみました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
世の中には強い人も弱い人もいる。
強い人はどんな人だろう、、
親切で面倒見が良い人。やさしさと人情も人一倍ある。そして、たくさんの苦労があって、努力家で、そしてすごく周りの人たちからも慕われている。
判断が速い。決断が速い。成功率が高い。窮地もなんとかしてきた経験がある。元々は弱かったのかも知れないけど、色々な修羅場に巡り合って、乗り越えていくうちに強くなった。
強い人は強い人の生き方を伝える事ができる。
だから
強い人は、強い人を救うことができるんだと思う。
すごいんだよな。尊敬できる。
自分も強い人だ。そうしないとやっていけない環境があったから、強くなろうとしてきた。未熟だったから失敗したことや失ったものがあるから、大切なものを当たり前のように大切にする為には強くあらざるを得ない。その苦労は芯を強くする。
そして、ここからが僕の葛藤。強い人が良いとか悪いとか、逆に弱い人が良いとか悪いとかっていうそんな事ではないので。
で、
人は常に同じ目線に立つ事はできないですよね?
生まれてから死ぬまで同じ考えの人なんていないでしょ?
だから常に強い人と弱い人が生まれる。
強い人は
弱い人を強くしようとする事がある。
相手に求めてしまうのかもしれない。
弱い人からしたら強さを受け入れるまでに時間がかかる。強さを受け入れられないうちは強い生き方を押し付けられる事はとても苦しい。
おせっかい、ありがた迷惑みたいな感覚だ。
上には上がいる。
強い人の上には更に強い人がいる。
だから自分にもまだまだ「そんなふうにはなれないよ」
と受け入れられない苦労がたくさんある。実際苦しい。強い人と関わるのは疲れる。
強くなりすぎてしまうと
自分にとっての1が相手にとって10くらいの重みになったりする。 「強い言葉、強い意思は時として人を苦しめる」
あまりに強すぎると、正しすぎると
弱い人は勝手に正しい行いを強要されていると感じてしまい苦しくなったり、
強い人と弱い人との間には
そういう摩擦が色んな所で生まれる。隙間ができる。
でもきっとお互い苦しいんだ。
強い人だって分かってる。
僕がなりたい姿はそんな姿じゃないのに
強くなれば苦しめる。
弱いままでは苦しんでしまう。
これじゃあ人とずっと関わるなんて出来ない。
コロコロ付き合う人を変えて自分と同じ目線の人としか関わらないなんて、僕は少し嫌だなと。
強いときもあれば弱いときもある。
どこかで気付かないと
願っていない別れを繰り返す事にはなりませんか?
どっちつかずで中途半端なじぶん。
僕は強くなるなら
人ではなく自分自身と向き合って強くならないと。
僕が弱いままなら
人のせいにするのではなく自分の責任と向き合っていけるようにならないと。
強くなるなら
自分の見えている世界で推し測るのではなく相手の気持ちを大事にしないと。
弱いままなら
自分なんて、、と必要以上に卑下しなくても自分を守れるようにならないと。
強くなるなら
強さが苦しめる事を理解して、その上で強さを出すだけの責任を持たないと。
弱いままなら
人に甘えている自分から目をそらさずに感謝できる心を持たないと。
強くなるなら
愛情を持たないと。
弱いままなら
愛情を受け止めないと。
きっともっと気づける事はある。
自分の中にある
強さと弱さの葛藤。
距離感とかもあるけど
そっちは言葉にできない。
自分の見えている強い人の世界より
更に強い人は、また違う見え方をしているんだと思う。
そこまでくればこの葛藤もなくなりそうだな。
愛って深いぜ俺みたいな浅い人間でも愛ってもっと奥深くまで続いてるんだなってのは分かるぜ
人間の段階の話を聞いたことがあります。
人は
褒められたい
認められたい
尊敬されたい
愛されたい
愛したい
という段階を踏んでいくんだという話
これを聞いたのは2、3年前だけど
未だに心に残ってます。
さっき
学生の時の恋愛を振り返った時にふと思ったのです。
「あ、あの時の彼女って『愛したい』っていう気持ちで僕と接してくれていたんだなぁ。」
という事!
ありがたい話ですね。
そんな人が過去にいたというのは。
別にその人とよりを戻したいとか
そんな感情は
全然ないのですが
そもそもよりを戻したいと思ったとしても
別れた彼女が
今も自分の事を好きだなんていう
幻想を抱いておりませんので
安心してください!!
それはそうと
「愛したい」という気持ちを持って人と関われる心の成人の度合い?というのか
なんというのか分かりませんが
そこに関心したのです。尊敬の眼差しです😳
なぜそこに関心したのか、尊敬なのかを
熱く語っちゃう前に
まず、
その時の自分はどうだったのか
っていうと
『愛したい』っていう感情は少なかったと思います。
いや、なかった。愛なんてなかった僕には愛情なんて全くもって!クソだ!俺なんてクソ野郎だ!(卑下しすぎ)フォーーーー!!!(情緒が不安定です)
まぁ、『愛されたい』が強かったんですよね。(情緒が安定しました)
『愛される』ことを求めていると
その対象となる人は『好きな人』ではなく
『嫌いではない人』であればだいたいいいんだという事。
好きになってくれればいいから
恋愛対象に替えが効くんですよね。
だから軽さがあったし
自分本位でした。
誰かに愛される事を通して『自分はこの世に存在していいんだ』という肯定感に繋げていたのだと思います。
若いですね。笑
あくまで当時を振り返ってですからね。
今現在の自分がどうかっていう話は
してないですからね。笑
まぁ、そんな自分に対して当時の彼女は
芯があったと思うんです。
人を愛することができる人って
強くないですか?
『自分はこの世に存在していいんだ』という肯定感はすでに自分の中で養われていますよね?
だから愛されることよりも愛することができるんだろうなと。
この人よりカッコいい人、カワイイ人はたくさんいるけどこの人はこの人しかいない。
そんな気持ちが芽生えるから
唯一無二な存在である『好きな人』ができます。
それが多少の事ではブレない強い想いになるんだと思います。
強い気持ちを持っていたんだろう
と当時を振り返って感じる部分は多いわけです。
そんな事をふと思い出すと
当時は汲み取れなかった感情や
受け止めきれなかった愛情やら
今だからこそ、こうだったのかなと
悟ることもあるんですよね。
振り返るって
楽しいですよね。
自分の人生のヒントがあったりなかったり。
また振り返る事があったら
文章にしてみます🤫
それっぽい写真載せてみるやつ。
参考:djあおいのお手をはいしゃく
2017.0123 逃げないと決めた日
【数十日後に天理でカフェやります】
自分は
人の気持ちも分からないし
人の為にと思っても
思った通りにはならないし。
大切な人もちゃんと大切に出来ない。
理想の自分とは真逆のような人間になっている。
「自分はこんな事をしたい!こんな人を助けたい!こんな人を応援したい!僕は決めたんです!」
そんな気持ちを宣言する度に
不安が自分を包み込んで、
臆病だから
一歩を踏み出すのに
何日も何日も日を重ねて
もったいない時間を過ごして、
そして自覚する自分の至らなさ。
褒められたい!尊敬されたい!認められたい!
そんな気持ちをモチベーションにして
行動すると
自分の発するオーラが人にうつるのか、
周りの人まで「認められたい!」そんな自分に矢印の向いた気持ちにさせた。
自分の理想も自分のエゴだって感じた。
でも少しづつ少しづつあたたかい心でいれるようになった。
自分が天理でお店を持ちたいって思いも
自分の為になるのか
人の為になるのか
社会の為になるのか
神さまは喜んでくれるのか?
そんなたいそうなお店じゃないやろと思いつつ
自分のエゴがエゴでしかなくても正しくありたいという気持ちを持ってた。
自分のお店でただお客さんに
料理を提供するだけじゃなくて、
心が満たされる空間が作りたいって思ってた。
目標が出来る空間にしたいなって思ってた。
みんなの夢を自分も背負いたいな。
ありのままのあなたを受け止めてあげたいな。
人の為になりたいって
思う人がたくさん増えて
みんな陽気になればいいなって。
こんな薄っぺらい自分に何が出来るのか、
不安なことだらけだけど。
EarthRingCafeのオーナーの
片岡徳久が
僕にEarthRingCafeの店長を頼んでくれました。
俺には無理だし、時間足りないし
そんなの無理…
でも天理でお店を持つのは
夢の第一歩だった。
尊敬するおじいちゃんが
「実は若い時の俺の夢は天理でカフェ開くことやったんや。諒くんそんな事考えてたんやな。何でも勇気出してやったらええ。」
って笑顔で後押ししてくれたから、
引き受ける事にしました。
自分の人生。
一度きりの人生。
大嫌いだった兄貴は20歳で亡くなった。
兄貴の分も、
我慢せずに進みたい。
今もこんな文章打ってたら
涙出てきて
なんて弱い男なんだって思いながら
手も震えてるけど
また顔見にでも
来てくれたら嬉しいです!
ふぁいとーーーー
2017.0908 働くよふぼく
父親は神さまを信じている。
そんな父親から
「自分の仕事を
社会の人に喜んでもらうように、
本当に神さまの御用と思っているか、
それを忘れないなら
色んな事に挑戦したらいい」
とメッセージを貰った。
癌で心を病んでたある経営者さんが
ランチで来店した。
色んな話をして
生気がみなぎって自分の会社の仕事で
全国飛び回るようになった。
それ以来、毎月欠かさず奥さんと娘さんが遠い県外からランチに来てくれる。毎月、もうすぐ来店するだろうなあ。なんて思って待ってる。小さな小さな飲食店だけどそんな事だってある。
社会の役に立つというのは
とても大きな事で難しい。
ランチを食べて
その人の人生にどれくらいの影響があるのか。
心がいっぱいになるほどの
メッセージをどうやって伝えるのか。
お客さんに声をかける事も簡単なようで
難しい。
僕はバカみたいに緊張する。
それでも
色んな人にありがとうと
言ってもらえる職場だ。
「この店に出会えてよかった」と
言ってくれる人もいる。
人生が変わる人もいる。
このアースリングカフェは。
きっと父親も「もっとやれ!」
と思っているだろうなと僕は思っている……
と、自分に都合のいい解釈をする僕を
これからも愛して下さい。笑
まずは自分を信じなさい
「僕は人見知りだ。」
僕はいつも人にそう言う。
そうすると
「どこがやねん!」
「はいはい、冗談キツイわ」
と大抵言われる。
でも僕は人見知り。
飲み会で知らない人だらけなら、
端っこで腕を組んだり、ケータイで忙しそうにしたり、目をそらしたり。
本心では人と上手に関わりたいなんて思いながらも、僕の行動は「関わらないで!」と叫んでるよう。
解散して1人になってから
「ほら、やっぱり自分は人見知りやわ。」
と自分の人見知り具合を再認識する訳で。
そうやって作られた
自分のイメージがあるから
どんどんそのループにハマって
より大きなイメージを作っちゃう。
自分の頭の中で考えてる事と
実際に起こってる事を
一致させる事で
心が安心する。
だから自分は人見知りだ
というイメージがあると
人見知りを発揮しようとしてしまう。
自分が
自分のイメージを変えないと
そのイメージを維持しようとしちゃう。
じゃあどうして
あなたそんなに知り合いいるんや!
となるんですが、
僕は「人前に出るのは得意だ。」
という自分のイメージを
作る事が出来ていたからだと思うのです。
そのイメージを持っていたから
人前に出る時には
「自分は人前に出ると楽しい!」と
自然にリラックスさせて
自分を信じる事が
出来ていたのです。
その結果、沢山の人と関わる事が出来た訳で、
「人見知り」という自己イメージより「人前に出るのが好き」という自己イメージが大きかったのです。
自分の可能性を拡げたいなら
自分を信じるんです。
自分を信じる事で
自分の可能性を拡げる機会を創り出せるんです。
「店譲ってもらってええなあ。ええとこどりやん。」
と言った人がいました。
何も分かってない。
「僕は将来天理でお店を開きたい!」
「僕は将来天理でお店をやるんだ!」
という自分のイメージが
「カフェしてくれないか?」
と声をかけられる機会を創り出したんです。
まだまだ未知の世界に行くために
『自分を信じたい』
と思います✨
※アーティストになりきって
写真を撮ってもらい
自己イメージを高めました。笑
【そうだ、ガリレオを目指そう】
うまく怒れないワタシ
こんにちは。久しぶりに人気ブロガー植田の
人気ブログを人気があるうちに投稿します。
最近困っている事がある。
自己主張が出来ないのだ。人との関わりで
自分の思う事が言えない。
最近に限った事じゃなく、昔からあまり自分の思う事が言えなくて何を考えてるか分からないヤツみたいな男でしたが。責められた時に言い返せない。怒れない。
今はそれで困ってる。
明らかに誤解がある。理由を聞いて欲しい。なんて時でも、
「これは相手を攻撃する事になるのでは?」
とそんな事ばかりが頭をよぎって
結局何も言えずに下がる。
で、後で言うのだ。
「ふざけんな、何も分かってない、
ポンコツ野郎め!(*´д`*)」
てな具合に。
相手から僅かな注意を受けただけで
冷や汗。
それを受けて反論もできず上手く対応出来ない。
…。
相手がポンコツなんやない!俺がポンコツなんや!
そう気付きました。はい。
自己主張が全然出来ない。
でも、これって俺だけ?(いつものパターンです。)
俺だけじゃないはず。
ぜったい他にもいる。
だってこんな俺ですら
人から口が上手いとか
誰も言えなかった事を言ってくれたとか
俺に対して中途半端な尊敬のねんを抱き
対応力や攻撃性を
評価する人もいるのだから🙌🙌🙌
ここで問題提起を!
相手の怒りを受け取る能力も
対応する能力も
低いのではないでしょうか!
そこで自分を助ける事は同じ悩みを持つ人も
助ける事になるのではと思い、
今『怒る』という事に対して
執筆しているのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜✍スラスラ
僕は陰で怒ります。
悔しくて心の中で言い返します。
でもそれを相手に伝える事が出来ません。
表現の仕方が分からず結局ふてくされた態度をとってしまう。自分の意見なんて聞いてもらえない事の方が多いし、
怒るのはよくない事と教えられたし…
昨日のサッカーの試合でも誤審続きで普通なら抗議してもよさそうな所でしたが審判に従う選手とブーイングも対してせずにオーーニィッポーンと叫び続けて海外からなめられている日本人とハリルが猛抗議しにいってる姿を見て、
あぁこれやなあ
やっぱり日本ってこんな感じやなあと心底思いました。
でも怒らなければ生きていけない事もあるのよ!!!
ちゃんと主張しなければならない時が!!!
意見を言う先に
物事を解決する技術が
あれば乗り越えられる事ばかりなのに、
対立してはいけないなんて考えが頭にあるのか
言う事言えない。
すぐ目の前に解決の糸口が見えてるのに
言う事言わず結局
裏で、心の中で、グチグチ言ってる。
あー情けないワタシ@' _ ' @
他人に「わかってもらおう」といっても
人の気持ちなんかそんな簡単に分からないから
心の中で叫ぶばっかりではなく
やっぱり言わなくちゃ。
自分が生きていく為に( 。・-・。`)
OKAN-「君の代わりはいない(沒有人能代替你)」LIVE - YouTube
これが自分を苦しめてたってやつ
人から褒められるのが好きな植田です(褒められて伸びるタイプとか言っちゃうゆとり世代です。)
僕ね、自信がないんですよ。
割とガチで。
うそつけ!って思われがちやけど。
何でかなあって考えた時に
思い浮かんだ。
「あー、おれ人と比べてすぐ劣等感感じちゃうなぁ」
って。
めっちゃ人と比べてしまうんです。
劣等感だけじゃなく
人より出来る所見つけて、なんか安心しちゃってたり。
最近それがもったいないなあって思い始めた。
人と比べる事自体は悪いことではないと思う。
あの人のこんなところ素敵やなあ。って見習ったり、
あの子はこんな事が苦手なんやなあ。ってフォローしてあげたり
って言う事ならいいと思うんやけど、
俺はそうじゃなくて、
人と比べて劣等感を感じたり優越感に浸ったり。
自分を判断する上での基準がこういうあり方なのって
脆い気がするの。
人の弱みを見つけては優越感に浸って
自信過剰になって
自分の良さが出せない時は、みじめな思いでいっぱいになって
逃げたくなる。
でもさ
でもさ、
これって俺だけ?
みんながお互いに周りと比べあって苦しめあってるような気がするのよ。
ああぁ
もうあまり時間がないし
まとめにいこう。
大事なのは自分が
どう成長できたか。
何かにぶつかって
迷って
挑戦して
失敗して
成功して
っていうのを繰り返して、
自分で育てるのが「自信」っていう感覚なんじゃないかな?と
心底自信を無くして
思えました。
あーもっと成長したいですなあ